あの日の十字架

16年前の9月11日・・・。

 

Now the United States was attacked by Iraq

 

このテロップと、高層ビルから立ち上る煙が画面に

映し出されていた。

現地時間で午前9時頃の事であった。

 

俺の部屋では、もちろん俺がぐっすりと眠っていた

訳だが、カリフォルニアの朝5時頃、夜明けとともに、

自宅の電話が鳴った。

 

「あんた、アメリカが戦争になってるよ!」

挨拶もなしにいきなり耳元に突き刺してきたのは

日本にいる母親からだった。日本時間では11日の午後11時頃。

 

わざわざ国際電話で、日本からアメリカの時事ニュースを聞き、

慌ててテレビをつけた。

 

・・・まさに戦争だった。

 

会話もそこそこに電話を切った後は、ルームメイトと一緒に

しばしニュースを凝視。

 

そして、しばらくすると、2機目が突撃。

 

いやいや、これは本気だ・・・。

 

さすがにあせった。

 

自宅のカリフォルニアから、戦地は真逆の東海岸ではあったが、

もうどこに墜落してくるかは分からない。

そして、自宅はサンフランシスコ近郊。いやいや、狙われても

ぜんぜんおかしくないくらいの巨大都市。

 

やばい、でも、え?どうする?

 

やっぱりせいぜいできるのはテレビを通じて傍観者で

いることだけだった。

 

 

それから3年後。

 

俺は勤め先の社員旅行で、なんとニューヨークへ。

そして、戦地中心、ツインタワーがあったグランドゼロへ。

 

 

周りの建物も悲惨な状態だった。

ツインタワーがあった方向に向いているビルの壁は

すべてが被害をうけ、応急処置で壁を塗っているのが

痛々しい。

ここで、幾人もの人が亡くなり、幾人もの人が高い

ビルから飛び降りた。

飛び降りるその様を絶叫の中見ることしかできなかった

向かいのビル人たちは、飛び降りていく人が人に見えなかった

という。まるで蟻のような虫が飛び立っていくかのようで

あったと。

 

にわかに信じられるものではない。

一人が飛び降り自殺するのとはまた状況が違う。

 

逃げ遅れ、これ以上どうすることもできない人たちが、

どちらにして生き残れる確率などない高層ビルからの

飛び降り。

その光景を目と口を目いっぱい開いて叫びながら

見るしかない向かいの人々。

 

どんなに地獄絵図であっただろう。

国と国の戦いがあったかもしれない、政治的要素があったかも

しれない。

 

ただ、この飛び降りた人達に、なんの罪があったというのか。

 

本当に、ただただそこに居合わせただけ。

死因が、「そこに居合わせただけ」なんて、

誰が納得できようか。

 

 

グランドゼロは、復旧作業用に現場を鉄板で囲み、

その隙間からしか中を覗き見ることはできない。

それか、近くのビルに入り、構想階からみるだけ。

 

俺は隙間から中を覗き見た。

見た目は、ただの工事現場。とても飛行機が追突したとは

思えない。でも、あの日間違いなく頭上では飛行機が

追突したのだ。

 

殺風景な作業現場に、俺はあるものを発見した。

 

周りの人たちもざわざわなっている。

 

現場の中に、当時のビルの残骸であろう鉄骨が残っていた。

 

・・・しかも、もろに十字架の形をして。

 

飛行機の衝突から、その後崩れ落ちたビル。

その残骸を撤去すると、見事に十字架をした鉄骨部分が

残っていたという。

 

さらにだ。

 

よく見るとその十字架には、羽衣のような真っ白な

布が絡みついている。

 

周囲の人に聞いてみると、この十字架も不思議だが、

いつのまにか、羽衣がひらひらと舞い降り、

この十字架にかかったのだという。

 

あまりにも大きな事件であったため、

キリストが降臨し、死者を弔っているのだと。

 

どこまでも恐ろしい話だ。

 

おそらくキリストでさえも、この事件を防ぎきれなかったのか。

だから、自らが降臨し、死者を弔ったというのか。

 

同じ地球にするヒトでありながら、なぜこのようなことを

起こさねばならなかったのか。

 

事件が起きた日も、3年後も、16年後も、

残念な気持ちに変わりはない。

 

あの日テレビに映し出された光景と、

実際に目にしたグランドゼロと人々の言葉。

 

貴重な体験ではあるか、二度とはごめんだ。

 

今日もアメリカでは追悼式典がある。

このようなことが二度と起きないよう、

俺もアメリカに向かって祈りたい。

 

合掌。